【住友の中興の祖】伊庭貞剛が残したESG経営の教え
伊庭貞剛という人物をご存知ですか?「住友の中興の祖」と呼ばれていながら、「住友をは破壊した男」とも言われています。
いったい、どういうことでしょうか?
- 伊庭貞剛とはどんな人物だったのか
- 伊庭貞剛が住友を破壊して再生させた歴史的な事業とは何か
- 伊庭貞剛が今も住友グループに息づく経営理念とは何か
- 伊庭貞剛が現代のESG経営に示す示唆とは何か
伊庭貞剛とはどんな人物だったのか
伊庭貞剛(1847年 - 1926年)は、明治時代の実業家で、第二代住友総理事である。
別子銅山中興の祖と言われ、「東の足尾、西の別子」と言われた、住友新居浜精錬所の煙害問題の解決にあたった。
植林など環境復元にも心血を注ぎ、企業の社会的責任の先駆者とも言われている。近江源氏佐々木氏支流伊庭氏の一族である。
官吏から住友に入社
伊庭貞剛は、幼名を耕之助といい、近江国蒲生郡西宿村(現・滋賀県近江八幡市)に生まれた。父は伯太藩代官で、母は北脇理三郎の娘で、住友初代総領事である広瀬宰平の姉だった。
幼少期から剣道や国学を学び、明治維新後は京都御所禁衛隊や司法省に勤務した。しかし、官界に失望して辞職し、1879年(明治12年)に叔父・広瀬宰平の勧めにより住友に入社した¹。
別子銅山問題への処置
住友に入社後は、本店支配人や別子銅山支配人などさまざまな役職を経験し、1894年(明治27年)に新居浜に赴いた。そこで深刻化していた別子銅山の煙害問題に直面した¹。
当時、別子銅山から出る硫黄分を含んだ煙が周辺地域の農作物や森林を枯らし、農民たちから強い反発を受けていた。
伊庭貞剛は、「別子全山を旧のあおあおとした姿にしてこれを大自然にかえさねばならない」として、これまで銅山の近くにあった製錬所を四阪島に移し、植林など環境復元にも取り組んだ。
この決断は、純利益の2年分も費やすという巨額の投資であり、住友を破壊するとも言える行為だった。
しかし、伊庭貞剛は社会や地域を守ることを第一の目的とし、自分の信念を貫いた。その結果、別子銅山は煙害問題を解決し、住友は再生したのである。
伊庭貞剛が今も住友グループに息づく経営理念とは何か
伊庭貞剛が住友に残したものは、別子銅山の再生だけではない。彼は、住友グループの経営理念や文化にも大きな影響を与えた。
その中でも特に重要なものは、「自利利他公私一如」と「少壮と老成」である。
自利利他公私一如
「自利利他公私一如」とは、住友家初代の政友が涅槃宗に帰依していたことに由来する思想である。住友の事業は、一住友を利するものではなく、広く地域社会や国家を利するものでなくてはならないという意味である。
伊庭貞剛は、この思想を体現した人物である。彼は、「君子財を愛す、これを取るに道有り」という東嶺禅師の言葉を座右の銘とし、モラルのある儲け方をした。
また、「あくまで現実を重んずるも、現実に囚はれず、常に理想を望んで現実に先んずること唯一歩なれ」という言葉を残し、目先のことだけに追われず、遠い将来を見据えたビジョンを持つことを説いた。
今も住友グループ各社には、「自利利他公私一如」の精神が根付いている。それは、社会的存在である企業が社会性の視座を持ち、ESG(環境・社会・企業統治)経営に取り組むことにつながっている。
少壮と老成
「少壮と老成」とは、伊庭貞剛が『実業之日本』誌に寄稿した文章の題名である。その中で彼は、「事業の進歩発展に最も害するものは、青年の過失ではなくして、老人の跋扈である」と述べている。
伊庭貞剛は、58歳の時にこの文章を書き、総理事職を鈴木馬左也に譲って引退した。彼は自らが老人となって事業に足かせとならないようにしたのである。彼は若者たちにチャンスや権限を与えて育てようとした。
「少壮と老成」という言葉は、住友グループの経営者たちに受け継がれている。それは、経営の世代交代をスムーズに行うことにつながっている。
また、伊庭貞剛は若者たちに対して、「自分の考えを持ち、自分の言葉で話せ」ということを教えた。彼は、自分の意見を述べることがコミュニケーションやリーダーシップの基本であると考えていたのである。
その姿勢は、住友グループの社員たちにも浸透しており、自主性や創造性を高めることにつながっている。
伊庭貞剛が現代のESG経営に示す示唆とは何か
伊庭貞剛は、明治時代の人物であるが、彼の経営哲学は現代のESG経営にも通じるものがある。ESG経営とは、環境(Environment)、社会(Social)、企業統治(Governance)の三つの観点から企業の価値を評価することである。
伊庭貞剛は、別子銅山の煙害問題を解決することで、環境に配慮した経営を実践した。
彼は、「自利利他公私一如」という思想で、社会や地域に貢献することを目指した。彼は、「少壮と老成」という言葉で、企業統治のあり方を示した。
彼は、若者たちに自分の考えを持ち、自分の言葉で話せということを教えた。
これらのことは、すべてESG経営の要素である。伊庭貞剛は、現代の企業が目指すべき理想的な経営者であったと言えるだろう。
- 伊庭貞剛とはどんな人物だったか
- 伊庭貞剛が住友を破壊して再生させた歴史的な事業とは何か
- 伊庭貞剛が今も住友グループに息づく経営理念とは何か
- 伊庭貞剛が現代のESG経営に示す示唆とは何か
についてお話しました。
伊庭貞剛は、明治時代から現代まで通じるESG経営の先駆者であり、住友グループの中興の祖であったことがわかります。
この記事があなたの参考になれば幸いです。
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