【高麗神社】日本最古の渡来人の歴史とご神徳を知る
高麗神社と聞いて、どんなイメージを持ちますか?
埼玉県日高市にある神社で、出世や子孫繁栄のご利益があるということは有名ですが、その由緒や歴史はあまり知られていません。
実は、高麗神社は日本最古の渡来人の末裔である高麗氏が代々神職を務めてきた旧家で、国指定重要文化財の住宅も残っています。
また、高麗神社の主祭神は、高句麗から渡来した王族の若光で、日本の歴史にも大きく関わっています。
この記事では、高麗神社の歴史とご神徳について、以下の3つの見出しで紹介します。
- 高麗神社の由緒と主祭神
- 高麗家住宅と国指定重要文化財
- 高麗神社のご神徳と参拝方法
【高麗神社の由緒と主祭神】
高麗神社は、天智天皇5年(666年)に高句麗から渡来した王族の若光を主祭神としています。
若光は使節団の一員として日本に来た後、故国が滅亡したために帰ることができず、大和朝廷に仕えました。
王族の出身であることから王(こきし)の姓を賜り、高麗王若光と呼ばれました。
霊亀2年(716年)、大和朝廷は東日本各地から高句麗人を集めて武蔵国に「高麗郡」を創設しました。
若光は郡長に任命され、郡民を指導して開拓に努めました。その功績と徳を称えられ、死後に郡民によって祀られました。それが高麗神社の始まりです。
他にも、導きの神である猿田彦命と、長寿にして長く朝廷に仕えた武内宿禰命が合わせて祀られています。
天命に則り、正しい道に導かれ、心身共に健康にして天寿を全うすることが高麗神社のご神徳と言えます。
【高麗家住宅と国指定重要文化財】
高麗氏は高麗王若光の子孫であり、代々高麗神社の宮司を務めてきました。
その旧家である高麗家住宅は、境内の隣接地にあります。建築年代は慶長年間(1596~1615年)と伝えられており、東日本では古い形を遺している極めて重要な民家です。
昭和46年(1971年)に国指定重要文化財に指定されました。
高麗家住宅は、茅葺きの入母屋造りの平入りで、土間と5つの部屋で構成されています。
大黒柱がなく、細い柱で梁を支えているのが特徴です。手斧や槍鉋が使用され、全面的に丸みを帯びた仕上げになっています。桁と柱には杉、梁にはケヤキ・松が用いられています。
高麗家住宅は、見学することができます。高麗神社のホームページをご覧ください。江戸時代の渡来人の末裔の暮らしを垣間見ることができます。
【高麗神社のご神徳と参拝方法】
高麗神社は、出世や子孫繁栄のご利益があるとして、多くの人々に崇敬されています。
特に、参拝後に内閣総理大臣に就任した政治家が相次いだことから、「出世明神」と称されるようになりました。
また、高麗氏は1300年・60代に渡り家系血脈が続いており、子孫繁栄・子授け・安産などのご利益もあります。
高麗神社は、毎日8:30~17:00まで参拝することができます。
境内には本殿のほかに、水天宮や国指定重要文化財の高麗家住宅などがあります。
水天宮は安産・子育て・無病息災・水難除けのご利益があるとされています。
高麗神社では、御朱印やお守りなども授与しています。
また、10月19日には獅子舞宮参り御印を授ける行事があります。
この御印を額に授けられた者は、1年間無病息災の霊験を授かると言われています。
高麗神社は、日本最古の渡来人の歴史とご神徳を知ることができる神社です。
埼玉県日高市にお越しの際は、ぜひ参拝してみてください。
【記事のまとめ】
- 高麗神社は、高句麗から渡来した王族の若光を主祭神とする神社である。
- 高麗氏は若光の子孫であり、代々高麗神社の宮司を務めてきた旧家である。
- 高麗家住宅は国指定重要文化財であり、見学することができる。
- 高麗神社は出世や子孫繁栄のご利益があるとして多くの人々に崇敬されている。
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以上、高麗神社の歴史とご神徳について紹介しました。
高麗神社は日本最古の渡来人の末裔である高麗氏が代々神職を務めてきた旧家で、国指定重要文化財の住宅も残っています。
また、高麗神社の主祭神は、高句麗から渡来した王族の若光で、日本の歴史にも大きく関わっています。
出世や子孫繁栄のご利益があるとして多くの人々に崇敬されています。
水天宮や獅子舞宮参り御印なども見どころの一つです。埼玉県日高市にお越しの際は、ぜひ参拝してみてください。
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