【パラケルスス】医学界のルターと呼ばれた錬金術師の驚くべき業績

今回は、パラケルススという人物について紹介したいと思います。

パラケルススは、15世紀から16世紀にかけて活躍した医師、化学者、錬金術師、神秘思想家で、医学界のルターと呼ばれたほど革新的な考え方を持っていました。

彼はどんな人物だったのでしょうか?どんな業績を残したのでしょうか?この記事では、以下の内容について解説します。

- パラケルススの生涯と放浪
- パラケルススの医学と化学における業績
- パラケルススの錬金術と神秘思想

それでは早速見ていきましょう。


【パラケルススの生涯と放浪】


パラケルススは1493年にスイスの巡礼地であるアインジーデルンに生まれました。

父親は放浪の医師で、鉱物学校の講師もしていました。パラケルススは父親から自然哲学や医学、化学を教えられました。

また、鉱山学校で過ごしたこともあり、金属や坑夫、それに関する病に関心を示しました。さらに、修道院長で隠秘学者であったヨハンネス・トリテミウスから魔術の理論も学びました。

1508年頃から放浪を始めたパラケルススは、バーゼル大学やフェラーラ大学で医学を学び、1515年あるいは1516年頃に医学の博士号を取得しました。

その後は一旦父親の元に戻って化学を研究しましたが、父親が亡くなると再び放浪生活に入りました。彼は様々な国や地域を訪れては、現地の医療や文化に触れ、自分の知識や技術を広めるとともに、新たな発見や経験を積み重ねました。

彼はドイツやフランス、オーストリアやイタリア、スペインやポルトガル、イギリスやオランダ、スウェーデンやデンマーク、ロシアや小アジアなどを巡りました。

パラケルススは自分の考え方が従来の医学や哲学と大きく異なっていたために、多くの反発や批判に遭いました。

彼は自然の直接的な探求を主張し、大宇宙と小宇宙(人間)の照応を基盤とする統一的な世界観を目指しました。

そのためあらゆる領域で従来の考えと戦わねばならず、彼の著作のほとんどは論争書となりました。彼は自分を賞賛する人たちからは「医学界のルター」と呼ばれましたが、彼自身はカトリックであり、ルターの福音主義とも人文主義とも異なる秘教主義的な哲学を持っていました。

彼は「私をあんな下らない異端者と一緒にするな」と言い放ったといわれます。

パラケルススは1541年にオーストリアのザルツブルクで亡くなりました。彼の死因については、病死説と暗殺説があります。

病死説では、彼は足を骨折して壊疽にかかり、それが原因で死んだとされます。

暗殺説では、彼はザルツブルクの大司教やフッガー家の陰謀によって毒殺されたとされます。

彼の遺体はザルツブルクの聖セバスティアン教会に埋葬されましたが、その墓は1752年に失われました。現在は記念碑が建てられています。


【パラケルススの医学と化学における業績】


パラケルススは、医学と化学においても画期的な業績を残しました。彼は、当時の主流であったスコラ哲学的解釈や四体液説に反対し、自然の直接的な探求を主張しました。

彼は、人間の肉体に対する天の星(星辰)の影響を認める医療占星術の流れを汲みながら、独自の原理に基づく治療法や診断法を唱えました。

彼は、錬金術(化学)の医療への利用にも先駆者となり、水銀や鉄などの金属や化合物を医薬品として開発しました。彼は、「医化学の祖」と呼ばれるだけでなく、「毒性学の父」とも呼ばれます。

彼は、毒物が適切に用いられれば治療に役立つと考え、アヘン剤やヒ素などを使って様々な病気に対処しました。

彼はまた、梅毒や鉱山病、精神病理などの個別研究も多く行い、新しい病気に対する新しい治療法を発見しようと努めました。

パラケルススの医学と化学における業績を見ていきましょう。


 【三原質説】

パラケルススは、化学者としては、スコラ哲学的解釈を嫌い、当時主流だった四大元素説(火・空気・水・土)に反対し、万物の根源は水銀(液体性)、硫黄(燃焼性)、塩(個体性)からなるとする「三原質説」を提唱しました。

彼は、これらの三原質がそれぞれ異なる比率で混合されて様々な物質を形成すると考えました。

例えば、金は水銀が多く含まれており、硫黄が少ないために不変であるとしたのです。

また、三原質はそれぞれ天体と関係しており、水銀は月、硫黄は太陽、塩は地球と対応していると考えました。

パラケルススは、三原質説を医学にも応用しました。彼は、人間の身体も三原質から構成されており、それぞれが特定の器官や機能に関係していると考えました。

例えば、水銀は神経系や脳に関係し、硫黄は循環系や心臓に関係し、塩は消化系や肝臓に関係するとしたのです。

彼はまた、人間の体質は「辛さ・甘さ・苦さ・酸っぱさ」という根源的な特質に支配されるという説を唱えました。これらの特質も三原質と関係しており、辛さは水銀、甘さは硫黄、苦さは塩、酸っぱさは水銀と硫黄の混合物であると考えました。

パラケルススは、疾病は三原質の不均衡から生じると考えました。

彼は、病気の原因を特定するために、患者の尿や血液などの体液を分析し、その色や臭いや味などから三原質の比率を推測しました。

彼は、病気を治療するために、三原質の均衡を回復させる必要があると考えました。

彼は、そのために鉱物の調合による医薬品を開発しました。

病気を引き起こすものは治療もできるという論理で、ことによれば病気を引き起こしたものと似た構成物を用いることもありました。

これは、後にホメオパシーの創始者ハーネマンが主張したのと同じ原理です。

パラケルススの三原質説は、当時の化学や医学に大きな影響を与えました。

彼は、化学的な分析や実験によって自然の法則を探求することを重視しました。

彼はまた、人間と自然との相互関係や調和を強調しました。彼は、自然哲学や神秘思想と化学や医学とを統合することを試みました。

彼は、「医化学の祖」と呼ばれるだけでなく、「毒性学の父」とも呼ばれます。


【錬金術と神秘思想】


パラケルススは、錬金術と神秘思想にも深く関心を持ち、その両方を自然哲学や医学と統合することを試みました。

彼は、錬金術を単に金属の合成にとどまらず、有機物の世界にまで拡大しました。人間の身体を始めとした有機体の変化にも、金属の合成と相似した過程があり、そこにある種の触媒を作用させることによって、病気を治したり、新しい生命体を作り出すこともできると考えました。

パラケルススは錬金術の手法を応用して、ホムンクルスと呼ばれる小さな妖精のような人間を作り出しました。それは、

パラケルススによれば、フラスコの中でしか生き続けることができないが、人間としての最高の智恵を備えた生き物なのであった。

パラケルススの錬金術の基底には、世界の存在に関する独特の思想体系がありました。占星術や神秘思想に彩られたものであるが、フィチーノら新プラトン主義(ネオプラトニズム)に影響を受けていました。

まず宇宙の構成について、パラケルススはアリストテレスにもとづいて、次のように論じました。宇宙は月下の世界たるこの世、遊星からなる天上世界、そして恒星からなり世界霊の棲む霊的世界から構成されている。

パラケルススはこの説に新プラトン主義の流出説を接木させて、宇宙の根源は世界霊であり、この世界霊としての第一質料が流出することで、宇宙全体が生み出されたのだとしました。

これを大宇宙とすれば、人間は小宇宙としてイメージされます。人間において地上の世界に対応するものは身体であり、天上世界に対応するものは精気であり、霊的世界に対応するものは魂である。宇宙と人間との間には単なる類比を超えて密接な交流があります。

世界を支配する霊が人間に働きかけて霊夢を見させることもあれば、逆に人間界の出来事が世界例に働きかけて天変地異を生じさせることもあります。

第一質料の最初の流出によって生じるものは、錬金術の三要素、すなわち、硫黄、水銀、塩である。天上世界及び月下の世界を通じて可視的で物質的な世界はすべてこの三要素の配合によって形作られています。

硫黄は燃焼や蒸発の原理ともなり、水銀は流動や固定の原理ともなります。またこれら三つの要素が組み合わされることで、4つの元素、すなわち、地水火風が生じ、これらがさらに組み合わさることによってさまざまな物質が生み出されます。

錬金術はこれら三要素、四元素の組み合わせを究明することによって、金の合成や生命体の創出をめざす技術なのです。

ところで、現代の偉大な思想家の中に、パラケルススを取り上げたものがいます。

カール・グスタフ・ユングです。ユングはユニークな心理学説を唱えたことで知られていますが、そのユニークさは、偉大な思想家というに相応しく、桁がはずれていました。

ユングにとって心とは、物体ではないにしても、たんなる精神作用を超えた確固たる実体を持つものでありました。しかもそれは個人的なものであるにとどまらず、個体から個体へと受け継がれるものであり、歴史的な広がりを持つものでありました。

さらに驚くべきことに、人間の心と宇宙との間には内的な紐帯があって、宇宙の出来事が人間の心に影響を与えることもあれば、人間の心の中の出来事が宇宙に影響を与えることもありました。

これはまさに心霊術と同じ考え方です。ユングは心霊術をまじめに信じていました。

パラケルススの錬金術の思想と似通うところがあります。実際ユングは、パラケルススから大きなインスピレーションを受けたと告白しています。「心理学と錬金術」という本の中では、パラケルススに対して大いに敬意を払ってもいます。


【医学の影響と評価】


パラケルススの医学は、当時の医学界に大きな衝撃と影響を与えました。彼は、古典的な医学の権威であるガレノスやアヴィセンナの教えに盲目的に従うことを否定し、自らの観察と実験に基づいて病気の原因と治療法を探求しました。

彼は、病気は四体液の不均衡ではなく、三原質(水銀、硫黄、塩)の不均衡や外部からの毒素によって引き起こされると考え、それぞれに対応する化学的な薬物を用いて治療しました。

彼はまた、人間の体質や病気に占星術や神秘思想を応用し、天体や霊的な力が人間の健康に影響を与えると考えました。彼は、自然界に隠された普遍医薬や賢者の石を探求する錬金術師でもありました。

パラケルススの医学は、多くの支持者や弟子を得る一方で、多くの反発や批判も受けました。

彼は、自らの理論を権威づけるためにラテン語ではなくドイツ語で著作を書きましたが、その文体は難解で不明瞭であるとされました。

彼はまた、自らの理論を守るために他の医師や学者と激しく論争しましたが、その態度は傲慢で攻撃的であるとされました。彼はさらに、自らの理論を実践するために危険な毒物や金属を用いたり、人工的な生命体を作り出そうとしたりしましたが、その行為は不道徳で異端であるとされました。

彼は、医学界のルターと呼ばれることもありましたが、彼自身はルター派ではなくカトリックであり、宗教改革運動とも距離を置いていました。

パラケルススの医学は、死後も長く議論され続けました。

17世紀には、パラケルスス派と呼ばれる医師たちが彼の理論を発展させていきました。彼らは、化学的な薬物や占星術的な診断法を用いて病気を治療しましたが、同時に神秘思想や魔術的な要素も取り入れました。

彼らはまた、パラケルススの思想とキリスト教神秘主義やローゼンクロイツ運動との関連性を探求しました。18世紀には、パラケルスス派は化学的な医学から離れていきましたが、その一方でホメオパシーやナチュラルヒーリングなどの代替医療に影響を与えました。

19世紀以降には、パラケルスス派はほぼ消滅しましたが、その思想は心理学者のカール・ユングや文学者のヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテなどに受け継がれました。

パラケルススの医学は、現代の医学とは大きく異なるものですが、それでも彼は医学史において重要な位置を占めています。

彼は、医学を化学や自然科学と結びつけることで、医学の近代化に寄与しました。彼はまた、医学を占星術や神秘思想と結びつけることで、医学の人文化に寄与しました。

彼はさらに、医学を錬金術や魔術と結びつけることで、医学の創造化に寄与しました。彼は、医師としてだけでなく、哲学者としても偉大な人物であったのです。

コメント

このブログの人気の投稿

【Power BI】レーダーチャートの作り方とカスタマイズ方法を徹底解説!

【ファイユーム文化】エジプト最古の農耕・牧畜文化の謎と魅力

合成の誤謬とは?わかりやすくいうと?簡単な解説と具体例

【資本主義の次に来る世界】ジェイソン・ヒッケルが描く成長に依存しない未来とは?

【湿球温度】暑さの危険度を知るために必要な指標とは?

盆栽界のレジェンド木村正彦の魅力と作品を紹介!

【北海道の廃線記録】消えた鉄道の歴史と風景をたどる旅

【赤羽~熱海のグリーン車に乗る方法】JR東日本の普通列車グリーン車の魅力と注意

【Atari Jaguarの魅力と悲劇】レトロゲーム機の歴史を振り返る

【五行思想と四大元素説の違い】東西の自然哲学を比較してみた