【音痴の歌姫】フローレンス・フォスター・ジェンキンスの人気と驚きの人生とは?
今回は、あまりにも音痴なのに、カーネギー・ホールでコンサートを開いたという伝説のソプラノ歌手、フローレンス・フォスター・ジェンキンスについてご紹介したいと思います。
彼女はどんな人物だったのでしょうか?どうして音痴なのに歌手になろうと思ったのでしょうか?彼女の歌声を聞いた人々はどんな反応をしたのでしょうか?そして、彼女はどんな影響を残したのでしょうか?
この記事では、以下の3つの見出しで、フローレンス・フォスター・ジェンキンスの驚きの人生を紹介します。
- 【夢見る少女】フローレンス・フォスター・ジェンキンスの幼少期と結婚
- 【音痴の歌姫】フローレンス・フォスター・ジェンキンスの音楽活動と人気
- 【伝説のコンサート】フローレンス・フォスター・ジェンキンスの最後と遺産
それでは、早速見ていきましょう!
【夢見る少女】フローレンス・フォスター・ジェンキンスの幼少期と結婚
フローレンス・フォスター・ジェンキンスは、1868年7月19日にアメリカ合衆国ペンシルベニア州ウィルクスバリで生まれました。幼い頃から音楽教育を受け、ピアノやヴァイオリンを弾き、歌も歌いました。音楽留学を希望していましたが、父親が費用の支出を拒んだため、実現しませんでした。
そこで、彼女は医師で後に夫となるフランク・ソーントン・ジェンキンスとフィラデルフィアに駆け落ちしました。しかし、彼女は梅毒に感染してしまいました。このことが後に彼女の歌唱能力に影響を与えたという説もあります。彼女は1902年に離婚しました。
その後、彼女はピアノ教師をして生活していましたが、1909年に父親が亡くなると、両親と前夫から反対されていた歌手の道へ歩むのに十分な遺産を相続しました。そして、フィラデルフィアで音楽生活を始めました。
【音痴の歌姫】フローレンス・フォスター・ジェンキンスの音楽活動と人気
フローレンス・フォスター・ジェンキンスは、1912年に初めてリサイタルを開きました。
彼女は自らヴェルディ・クラブを創立して基金を積み立て、歌唱のレッスンを受けました。彼女はモーツァルトやヴェルディ、R.シュトラウスなどの一般的なオペラのレパートリーに挑戦しました。
しかし、彼女の歌声はとてもひどいものでした。
彼女は音程とリズムに関する感性がほとんどなく、極めて限られた声域しか持たず、一音たりとも持続的に発声できませんでした。
伴奏者が彼女の歌うテンポの変化と拍節の間違いを補って追随していました。彼女の歌声を聞くと、笑いをこらえることができませんでした。
にもかかわらず、彼女はその型破りな歌いぶりで大変な人気を博しました。
聴衆が愛したのは音楽的能力ではなく、彼女の提供した楽しみでした。
音楽批評家たちは、しばしば彼女の歌唱を皮肉まじりに説明し、それがかえって大衆の好奇心を煽る結果となりました。
彼女は自分を名高いソプラノ歌手フリーダ・ヘンペルやルイーザ・テトラツィーニに比肩しうると考え、自分の演奏中にしばしば聴衆が笑い出すのを、ライバルが職業的な競争心からやらせているのだと思い込みました。
しかし、彼女は批判に気付いており、「皆さん私が歌えないとおっしゃいますが、私が歌わなかったといった人はいませんわ」と述べたこともありました。
彼女はしばしば衣装にも凝り、時には翼のついた金ぴか衣装をまとって現れました。
そして『カーネーション』を歌うときには扇をはためかせ、髪に挿した大量の花を見せびらかしながら聴衆に花を投げました。聴衆はもっと多く出演を望みましたが、フローレンスは少数の気に入った会場でたまにしか出演しないようにしていました。
そして、ニューヨークのリッツ・カールトンホテルの舞踏会場で年ごとのリサイタルを開きました。彼女のリサイタルに出席できたのは、彼女の忠実なファンクラブの婦人とその他特に選ばれた人々だけでした。彼女は羨望の種であった切符を自ら配布していました。
【伝説のコンサート】フローレンス・フォスター・ジェンキンスの最後と遺産
1944年10月25日、76歳のフローレンス・フォスター・ジェンキンスはついに公衆の希望に応じてカーネギー・ホールの舞台に立ちました。
期待が高かったため、切符は公演の何週間も前に売り切れました。フローレンスはその1ヵ月後、マンハッタンのセイモアホテルで亡くなりました。
彼女は生前、自らのレコードを2種類のCDで発売しました。『人間の声の栄光』)と『ハイ-Cの殺人者』です。彼女が歌ったオペラ『魔笛』の「夜の女王のアリア」は、インターネットで聞くことができます。彼女の歌声は、あまりにもひどくて、笑いを誘うだけでなく、感動をも呼び起こします。
彼女の人生は、映画や演劇にもなりました。2015年にはフランスで『偉大なるマルグリット』という映画が公開されました。2016年にはイギリスで『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』という映画が公開されました。
この映画では、メリル・ストリープがフローレンスを演じ、ヒュー・グラントが彼女のパートナーであるシンクレア・ベイフィールドを演じました。この映画は、ゴールデングローブ賞や英国アカデミー賞にノミネートされました。
フローレンス・フォスター・ジェンキンスは、音痴なのに歌手になったという奇妙な人物ですが、彼女は自分の夢を追い続けたという点では尊敬に値します。彼女は自分の歌声に自信を持ち、聴衆に楽しみを提供しました。彼女は音楽を愛し、音楽によって愛されました。彼女は音痴の歌姫として、世界中に笑いと感動を残しました。
まとめ
この記事では、フローレンス・フォスター・ジェンキンスの驚きの人生を紹介しました。彼女は以下の3つの見出しで語られるべき人物です。
- 【夢見る少女】フローレンス・フォスター・ジェンキンスの幼少期と結婚
- 【音痴の歌姫】フローレンス・フォスター・ジェンキンスの音楽活動と人気
- 【伝説のコンサート】フローレンス・フォスター・ジェンキンスの最後と遺産
彼女は音痴なのに歌手になったという美談なのか?それとも悲劇なのか?それはあなた次第です。彼女の歌声を聞いてみて、あなたはどう感じますか?
それでは、今回はここまでです。最後まで読んでくださってありがとうございました。また次回お会いしましょう!
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