【小金井良精】明治から昭和にかけて活躍した解剖学者・人類学者
こんにちは。今回のブログ記事では、明治から昭和にかけて活躍した解剖学者・人類学者の小金井良精について紹介したいと思います。
小金井良精は、日本の石器時代人やアイヌの骨格を研究し、日本人類学の分野を開拓した先駆者です。また、森鴎外の妹婿であり、星新一の祖父でもあります。彼の生涯や業績について、以下の三つの見出しでまとめてみました。
- 小金井良精の生涯:越後長岡藩士から東京大学教授へ
- 小金井良精の業績:日本解剖学会の創設とアイヌ先住民説の提唱
- 小金井良精の人物像:家族や友人との関係
それでは、一つずつ見ていきましょう。
【小金井良精の生涯:越後長岡藩士から東京大学教授へ】
小金井良精は、1859年1月17日(安政5年12月14日)に、越後国古志郡長岡(現新潟県長岡市)の今朝白町に生まれました。
父は長岡藩士で家老河井継之助に信任を得て郡奉行などを務めた小金井儀兵衛、母は新潟奉行小林又兵衛の長女幸子でした。長兄は自由民権運動家で衆議院議員を務めた小金井権三郎です。
小金井良精は幼い頃から聡明で勉強好きでしたが、戊辰戦争で長岡城が落城した際には、父と離ればなれになりました。母と兄弟と共に山中を流浪しながら会津から仙台へと避難しましたが、その途中で養子に出されました。
しかし、養父が死去したために実家に戻り、1870年に上京しました。母の弟である小林雄七郎宅から大学南校(現東京大学)に入学しました。
大学南校では首席で卒業し、1872年に第一大学区医学校(東京大学医学部の前身)に入学しました。1880年に東京医学校(同年5月第一大学区医学校から改称)を卒業し、医学士となりました。卒業前から東京医学校雇医員として外科学教室の助手を務め、解剖学を学びました。同年11月にドイツへ留学しました。
ドイツではベルリン大学やストラスブール大学で解剖学や組織学を研究し、1884年に「網膜の発生に関する論文」、翌年に「人類及び脊椎動物の虹彩に関する論文」を発表しました。
1883年にはベルリン大学の助手に採用されました。1885年に帰国し、東京大学医学部の講師となりました。日本人として初めての解剖学講義を行いました。翌年には教授に就任しました。
【小金井良精の業績:日本解剖学会の創設とアイヌ先住民説の提唱】
小金井良精は、解剖学者としてだけでなく、人類学者としても優れた業績を残しました。1893年に日本解剖学会を創設し、その初代会長となりました。
また、同年から1896年まで東京大学医科大学の学長を務めました。1902年には東京学士会院(現日本学士院)の会員に選ばれました。
人類学の分野では、1888年からアイヌの骨格を調査し、日本石器時代人との関係を明らかにしました。小金井良精は、アイヌが日本の縄文時代の先住民であり、後に渡来した日本人によって北へ追われたという説を唱えました。
これはいわゆるアイヌ先住民説です。また、アイヌと日本石器時代人の研究過程で上顎と下顎の位置が現代人と異なることに気づき、「人間の咬合についての論文」を発表しました。
小金井良精は、日本人類学会の創設者である坪井正五郎と激しく対立しました。
坪井正五郎は、縄文時代人がアイヌの伝説に登場するコロボックルであったと主張しましたが、小金井良精は人骨の実証的研究によってその説の誤りを証明しました。この論争はコロボックル論争あるいはアイヌ・コロボックル論争と呼ばれます。
小金井良精は、主著『日本石器時代住民』(1904年)や『人類学研究』(1926年)、『人類学研究続篇』(1958年)などで自らの研究成果を発表しました。現在では、アイヌ先住民説は多少の修正を要するものの、大筋において正しいと考えられています。
【小金井良精の人物像:家族や友人との関係】
小金井良精は、1887年に森鴎外の妹である小金井喜美子と結婚しました。喜美子は翻訳家や小説家、歌人としても活動しました。
二人は長男・良雄(星新一の父)、長女・せい(星新一の母)、次男・良太郎(医師)をもうけました。
小金井良精は家族や友人と仲が良く、親しみやすい性格でした。義兄の森鴎外とは、文学や医学について語り合う仲でした。
また、同じ東京大学医学部の教授であった坪井正五郎とは、人類学の分野で対立しながらも、個人的には親友でした。小金井良精は、坪井正五郎の死後、彼の遺稿をまとめて出版しました。
小金井良精は、孫の星新一にも深い愛情を注ぎました。星新一は、祖父の影響で科学や文学に興味を持ちました。
小金井良精は、星新一が小説家になることを応援しました。星新一は、祖父のことを『祖父・小金井良精の記』(1974年)という本に綴りました。
小金井良精は、1944年10月16日に死去しました。享年87歳でした。東京都港区高輪の泉岳寺に墓所があります。
小金井良精は、日本の解剖学や人類学の発展に大きく貢献した人物として、今もなお多くの人々に敬愛されています。
【まとめ】
以上が、明治から昭和にかけて活躍した解剖学者・人類学者の小金井良精について紹介したブログ記事でした。
小金井良精は、日本の石器時代人やアイヌの骨格を研究し、アイヌ先住民説を提唱しました。また、日本解剖学会を創設し、東京大学医学部の教授や学長を務めました。家族や友人とも仲が良く、親しみやすい性格でした。
この記事が、小金井良精に興味を持っていただけるきっかけになれば幸いです。もっと詳しく知りたい方は、以下の参考文献やリンクをご覧ください。
- 星新一『祖父・小金井良精の記』(河出書房新社)
- 小林忠『小金井良精』(吉川弘文館)
- 小金井良精 - Wikipedia
- 小金井良精 - 新潟文化物語
それでは、次回もお楽しみに!
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