【卒業生には向かない真実】失望・・、すべてを台無しにされた三部作の衝撃的展開【ホリー・ジャクソン】
(まだ未読の方は、ぜひ本作を見終わった後、この記事をご覧ください)
この本は、「『自由研究には向かない殺人』から始まったミステリー史上最も衝撃的な三部作の完結編」です。
『自由研究には向かない殺人』を読んで私は一気にこの作品のファンになりました。
とくに10代の少女であるピップという魅力的な主人公に夢中になりました。
しかし、【卒業生には向かない真実】は、その衝撃的な内容があまりにもひどく、私は大変失望しました。もうあのピップはいなくなりました。いまもまだ混乱しています。
私の感想としては
『卒業生には向かない真実』は、ホリー・ジャクソンの「個人的怨恨」を晴らすのための作品である、
ということです。
本作で、ピップやラヴィは作者の駒として動かされた気がします。
一作目のようなキャラクターの躍動感は、本作ではどこかぎこちなくなり、あるひとつの方向に向かうように仕向けられているように思えたからです。
1作目にあったような青春小説の要素や、爽やかな読後感はまるでなくなり、本作を読み終わると、ズシンと重い石を持たされたような、なんとも重苦しい気分にさせられました。
どんどんダークな方向性にいくのは、物語の展開上、理解できていたし、そのこと自体は特に大きな問題ではない、と思っています。
しかし、【卒業生には向かない真実】は作品単体としては素晴らしいかもしれませんが、1作目、2作目でファンになったものから言わせれば、はっきり言ってこの三作目は駄作です。なぜなら、すべてを後戻りできない状態にしてしまったからです。
今後、どのような追加作品や、スピンオフ作品が出ても、消すことができない傷をつけてしまった。あの、切なくも愛おしい青春物語も、ピップという魅力的なキャラクタに対しても、取り返しのつかない展開にしてしまったと思いました。
はっきりいって失望しました。
もし三部作完結編として、爽やかなラストを迎えてくれたなら。
三部作のラストとしてふさわしい、ピップの成長が用意されていたなら。
もしそうなら、三冊をずっと手元へ置き、また1作目から読み直したい、そう考えていました。
おそらく映画化されれば「青春ミステリもの」として、きっとヒットするだろう、と思っていました。
ですが、この衝撃的な展開を終えたいま、もはやそんな気分にはなれません。
一作目からまた読み直そうと思ってましたが、三作目のここへ繋がるのか、、、と思うと、辛くなるだけです。
なぜ、このような展開にしたのでしょうか?
作者であるホリー・ジャクソンさんもこの展開は、きっと波紋を呼ぶだろうと、思ったのではないでしょうか。
それでも、さまざまな選択肢から、この展開を選んだのでしょう。
刑事司法制度やその周辺への実態に対する怒りや失望があった、とのことで、それが物語を推進するエナジーになったことでしょう。
しかし、この展開は、できれば別の作品でやった欲しかった、このシリーズでやって欲しくなかった、という気持ちです。
ピップという(かつて)魅力的だったキャラクタに、その重責を負わせるべきではなかったのでは、と思います。まだ10代の女の子に、その役目を負わせるのは酷ではなかったでしょうか。
彼女の性格は、すでに1作目で見られたような性格ではありません。もはや別人です。
1作目で見せていた好ましい性格はすっかりなりを潜めました。
正義感が強くて、明るくて行動的で、家族や友人を愛し、どんな危機に対してもけしてあきらめず、理知的で、頭をフル回転させて乗り越える、10代のみずみずしさとユーモアのあるピップ。
私はこれがあるからこそ、ピップのファンになり、この作品のファンになったのです。
しかし、その好ましい要素は、2作目「優等生は探偵に向かない」が進むにつれて、徐々に消え、おかしくなり始めました。
そして本作、卒業生には向かない真実では、ピップは完全に精神的におかしくなっています。
家族に内緒で薬に頼るようになり、家族にも苦しみを打ち明けず、表面上は明るく取り繕っています。内面と外面が完全にバラバラな状態です。
序盤から、すでにダークな雰囲気を醸し出しています。
読んでいて辛いものの、ここまでは「判で押したような記号化されたミステリ小説にはない、細やかでリアルな心理描写」として理解できます。よくある死体を前に推理する探偵のように、リアルで人が殺されて、平気な人間なんていないでしょうから。
「純粋であどけない少女から、さまざまなことを知り、大人になっていく一人の女性を描いた作品」という青春物語としても、まだ納得がいきます。
しかし、このあと、さらに追い討ちをかけるような、けして後戻りのできない、今後スピンオフ作品ができたとしても、そこにどのような展開をもってきたとしても、もう取り返しのつかない、胸の痛む選択。
彼女をこれでもかと、精神的に崩壊させる展開に、1作目のファンとしてはもう、辛すぎて読むのをやめようかと思ったほどです。
しかし、その後の展開は、シリーズものとしてではなく、単体の物語として切り離して読めば、とてもハラハラドキドキするし、よく考えられたスリルのある描写で、やはり先が気になり、一気に読み進めました。
ピップの行為を擁護するに足りる描写は、1作目、2作目でしっかりと提示されています。
いったい、善悪とは何か。正義とはなにか。
なぜ、悪が平然とのさばるような世の中なのか。
憤り、怒り、悲しみ、失望と正義感。
だからこうするしかない、これが最適解なのだ、いうことなのでしょうが、
それでもやはり「彼女は一線を越えてしまった」という思いが拭い去れません。
あの行為で、青春物語としてまた一作目を読み返そうなどと、もう思えなくなりました。
すべてが三作目の行為へとつながってしまうとわかってるのですから。
ここに至るとわかっていながら、ミステリーでダークなムードはありつつも、ピップやラヴィのユーモアや、みずみずしい若者たちのやりとり、家族とのあたたかいやりとり、彼らが活躍する様子をワクワクしながら見るなんて、もはやできません。
本作では、ラヴィにも、とても重いものを背負わせてしまっています。
彼のキャラクタは、もはや別人のように見えます。
ポジティブな性格であればあるほど、ユーモアを言えば言うほど、かえってそれが、常軌を逸している人格だ、と思ってしまいました。
彼もどこかの時点で、いつのまにか、精神的におかしくなってしまったのかもしれません。
二人だけがおかしくなった?
いいえ、すべてのキャラクタに、関わってきたすべての人間に、
ホリー・ジャクソンさんはとんでもない重石を乗せてしまったように見えます。
あるいは、関わる人間すべてを、ねっとりとした闇で覆ってしまったかのように。
こんなことをするんだったら、最初から『自由研究には向かない殺人』での、爽やかな読後感など残して欲しくなかった、というのが素直な気持ちです。
「ミステリ作品にして爽やかな青春小説の一面を併せ持つ」などというコピーで釣らないでほしかった。
一作目から、とてもダークな物語として描き、私を遠ざけてほしかったです。
【卒業生には向かない真実】については、海外アマゾンサイトでも、同様の感想が低評価レビューにあります。
・1作目、2作目が好きだったのに台無しにされた。
・この展開には失望した。
など、全く同感です。
しかし、ほとんどが「高評価レビュー」です。
たしかに、作品としては面白かったのですが、高評価の多さ、私は少しこの結果に混乱しています。
ストーリーも、全二作に比べると単調です。特に前半は、たいしたひねりもなく、誰が犯人か、すぐわかるような内容で正直物足りません。
ピップも序盤からすでに元気がなく、なんども薬に手を伸ばすピップの姿の描写がはさまれ、正直いたたまれなくなりました。リアルな心理描写はさすがですが、かえってそれが辛くなります。
ホリー・ジャクソンさんはスティーブン・キングなどのミステリー、サスペンス小説を熱心に読み込んでいたということなので、そのこと自体は全くいいのですが、
できればこういう衝撃的な展開は、やはり独立したひとつの作品としてやるべきだった、と思います。
スティーブン・キングの青春もののとして、名作「スタンドバイミー」があります。
死体を探しにいくという、話の内容はダークなものの、青春物語として非常によくできており、何度も見直したくなります。
それと同じか、それを上回るくらい、「1作目のピップ」は魅力的だったのです。
しかし、「スタンドバイミー」と「卒業生には向かない真実」には、決定的な違いがあります。
謳い文句である、「ミステリ史に刻まれる、衝撃の三部作」、その衝撃、、、それが、この2作品を隔てる大きな溝になってしまいました。
たしかに、ありきたりな展開ではなく、それは予測不可能なものでした。
しかし、その展開が、この作品を「みんなが楽しめる」ではなく「ミステリファン、スリラーファンが楽しめる」作品にしました。
この展開によって、より強固に、「この作品のファンでよかった」「素晴らしい展開だ」と支持する、コアなファンが増えたことでしょう。
「正義は法の外で行われるべきか??」
私は彼らとこの作品を通して、この結論の出ない、けれど重大なテーマを語り合いたいとは思えません。
「10代の聡明で勝ち気な、けしてめげない少女が活躍する、とんでもなくダークでどこまでも爽やかな青春物語」として語り合いたかったです。
【卒業生には向かない真実】は、ホリー・ジャクソンの「個人的怨恨」を晴らすための作品である、
と、冒頭に言いましたが、
それはホリー・ジャクソンさん自らの後書きが根拠になっています。
少し引用しましょう。
「はっきり申し上げておくと、この物語のある部分はみずからの怒りが源になっている。わたし自身が被害を受けたのに信じてもらえなかったという個人的な怒りと、ときおり正しくないと感じられる司法制度に対する怒りの両方が」
そのような過去があったのですね。
作者のバックボーンが、ダークな世界観やリアルな心理描写に繋がっていると思いますが、このコメントに対して、特に意見も批判もありません。
作者がどのような考えに基づいて小説を描こうとも、それは作者の自由ですし、あとは読者が作品をどう評価するか、それだけの話ですから。
私は、ただふと気になった文庫本を手に取り、ただ、ひたすら、この小説を純粋に楽しんでいるのです。
登場人物がみんな躍動感があり、それぞれ生き生きとして魅力的なのも、このシリーズの好きなポイントでした。
しかし、私は、作者のこの激しい「怒り」によって、ピップというキャラクタに作者が感情移入しすぎてしまい、結果、ピップは破壊されてしまったのでは、と思わざるをえません。
作者自身の怒り=ピップの怒りとなり、そのあまりに激しすぎる怒りによって、ピップはキャパオーバーを起こしたのでしょう。
破壊されたキャラクタ(キャラクタ崩壊の発生)しているものの、すでに定められた破滅への瞬間へと向かわせるために、ストーリの展開上、どうにかして主人公として成立させるために(なんとか物語を推進させるためだけに)、彼女の周囲に、彼女をサポートしてくれる、あたたかな登場人物を配置し、ピップを奮い立たせ、戦わせようとしている。そのためだけに各キャラクタが使われているだけに見えます。
つねに、ピップの周りにはとてもあたたかい人たち(ラヴィ、家族や友人)がいます。
両親、とくに父親は、ちょっと能天気なくらいの、超ポジティブなキャラクタです。
こうしたあたたかみのあるキャラクタたちが、ダークな世界の中の唯一の光、希望です。
希望なのですが、本作ではそれがかえって不気味なのです。
「あなたのやっていること、やろうとしていることは、とうてい同意できない」と、誰もピップに声をあげないことが、本作のもっとも「ダーク」な部分といえるかもしれません。
表面上、周りのみんなは明るく会話しているように見えるけれど、みんな心は重苦しく沈んでいる。
ある国の、ある片田舎の、閉鎖的な集団の中の、けして外部には漏らせない秘密の共有。
そうした、村社会特有の禍々しさ、重々しさ、ねっとりとした空気感。
これも本三部作のテーマのひとつであり、魅力のひとつではあるのですが、それが本作では、その展開の都合上、かなり強く出過ぎてしまった感じがします。
「腐り切った社会やルールよりも上位の、人と人との繋がりがある」ということなのかもしれませんが、読者全員が諸手を挙げて後半の展開に賛同できるわけではないでしょう。私もその一人です。
本作の後半、ピップは、「ものすごい活躍」をします。
これまでもピップは「ものすごい活躍」をしてきたのですが、本作の後半では、その「ものすごい活躍」があまりにも緻密すぎて、人間離れしていて、完全に常軌を逸しており、活躍すればするほど、「これまでの活躍で培ってきたピップのすべての才能はこれらのタスクを解決するためでした」と言われているようで、悲しくなりました。
私は、読者として善良すぎたのでしょうか。
私は、一作目の読後感を頼りに、道に迷ってきてしまったのでしょうか。
『卒業生には向かない真実』は、作品としてとても優れていることは認めますし、
文章表現や情景描写は、相変わらず素晴らしいものがあります。
テーマ自体も、非常に考えさせられるし、提示される問題や、哲学的な問いは、一考に値します。
作者である現在、ホリー・ジャクソンは、現在まだ30歳、20代!でこの三部作を書き上げたというのは、まぎれもなく天才だと思います。
じっさい、ハラハラドキドキの展開が待っていることは間違いありません。
「いったい、どうなってしまうのだろうか」後半は読む手が止まらないでしょう。
こういうテーマの、こういうジャンルの小説なのだ、と割り切れれば、これほど面白いミステリ小説はありません。
ただ、このシリーズは、一作目のピップが好きだった私には合わなかった、ということです。
私は、ミステリー小説は好きですが、あまりにもダークな展開や、むごたらしい作品、ラストで苦味の残る作品は好きではありません。
なので、そうした作品は読まないようにしています。
ジャンルとして、好き嫌いでいえば、嫌いなジャンルです。
読む時は覚悟して読みます。
「自由研究には向かない殺人」は、そういうジャンルではなかったので、安心して読んでいました。
ミステリー小説、殺人の話し、暗い、なのに、読後がとても爽やかで、なんと稀な作品だろう、と感動しました。
しかし、まさか最後にこのような展開が待っているとは、、愛すべき作品を持てると思っていただけに、ショックです。
まさに、「賛否両論の衝撃的展開」です。
どうやら、1作目の魅力に釣られて、うっかり、罠にはまったようです。
もっと早く、それに気がつくべきでした。
二作目でダークな流れになる片鱗はあったので、そこで止めるべきでしたが、「三部作完結編」、と言われると、読まずにはいられません。
ある意味、これが作者の策略だとしたら、大成功です。
ミスリードを誘い、「このテーマについて、読者に考えてほしい」ということであれば、間違いなく私は深く考えさせられましたから。
ピップという魅力的なキャラクタと引き換えにして。
さようなら、ピップ。
以上です。
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